信濃、飯嶋氏800年の歴史.1

飯嶋氏とは信州(長野県)伊那地方に清和源氏の末裔、片桐氏より分かれ飯嶋郷に城を建てて飯嶋氏と名乗る。
初代、飯嶋(片桐)次郎太夫為綱。
2代、飯嶋為光(太郎)は鎌倉幕府に
従って承久の乱に出陣し6番目に敵陣に
乗り込む。
承久の乱による恩賞により出雲国(島根県)
三澤郷を賜り6代、飯嶋為長が出雲に行き
三澤氏と名乗る。
三澤氏の末裔には仙台藩4代藩主の母、三澤初子がいます。
時代は流れ戦国時代になると甲斐、武田氏の家臣となり春近衆50騎と呼ばれ先陣を努めていました。深谷飯島家文書によれば、飯嶋氏は代々武田氏の客将なり、と書かれてます。
武田勝頼公の代になり織田信長が甲斐武田氏
討伐に乗りだし、15代飯嶋民部は始め大島城にいましたが、武田信玄公の(弟)武田信廉を守り、高遠城に入ります。
しかし、武田信廉は甲斐へ行きます。
高遠城の城主、仁科盛信に従って飯嶋民部、(弟)小太郎は籠城します。武田武士の意地を見せる為に高遠城主仁科盛信(勝頼弟)、小山田備中守、飯嶋民部兄弟は織田軍に包囲されますが何度も攻防戦して城主仁科盛信を守る為に飯嶋民部兄弟が盾になり討ち死にします。
その後、本能寺があり信濃は徳川家康の領地となります。
そして、第1次上田合戦(真田昌幸)との戦いへ徳川方に出陣して飯嶋辰千代が討ち死にします。
江戸時代に入り、飯嶋(梶)与右衛門は彦根藩井伊直滋の剣術指南役を努めましたが、直滋は(父)井伊直孝に勘当されます。
飯嶋与右衛門はお役後免となり信州飯島へ帰ります。
そして、名主(割元)として2度と仕官せず
農民として江戸時代をすごします。
資料、飯島家29代飯島紘氏の古文書より

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